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池江璃花子、4冠締め!競泳50M自由形で優勝、「4冠凄く嬉しい」

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 今日のコラム 

 

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(4月10日)   引用 : スポニチ

 

スポニチアネックスによると、東京五輪代表選考を兼ねて行われ、白血病から復帰した池江璃花子(20=ルネサンス)は女子50メートル自由形決勝で24秒84をマークし、優勝。大会4冠を果たした。◇競泳日本選手権最終日(2021年4月10日 東京アクアティクスセンター)

 

 前日の準決勝では全体1位の24秒87で通過。復帰後の自己ベストは2月のジャパン・オープンで出した24秒91だった。同種目の派遣標準記録24秒46を突破した上で上位2人以内に入れば東京五輪代表に内定するが、惜しくも逃した。

今大会は手足の冷えに苦しんでいた。会場は五輪本番でも使用される東京アクアティクスセンター。建物が広く控え室からメーンプールへの移動には廊下を通る必要があり、更衣室からサブプールの距離もある。「もともと冷え性なので体が温まらない。それだけで50メートルは感覚が変わる」。分厚い靴下を履き、湯たんぽを使用。レース前のアップをプールに入らずに陸上トレだけにするなど工夫を凝らした。

8日間で計11本のレースに出場。序盤に最も負担の大きい100メートルバタフライを泳いだ影響もあり、疲労は日を増すごとに蓄積された。終盤は顔の血色がよくないようにも見え「疲れが顔に出ているのかもしれない」。病気前は無頓着だったクールダウンを入念に行い、連日できる限り早く就寝。起床後に体が重くても、あえて「今日も大丈夫だ」と思い込むことで自己暗示をかけていた。

今大会、池江は4日の100メートルバタフライ、8日の100メートル自由形で優勝して2冠を達成。リレーの2種目で五輪に内定していた。最終日のこの日、非五輪種目の50メートルバタフライで優勝し、50メートル自由形も制覇。4冠という最高の形で日本選手権を締めた。

 ▼池江璃花子「(50メートルバタフライから1時間後のレース)もう少し(タイムは)上げられるかなと思ったが4冠達成できて凄く嬉しい。(入場時のガッツポーズは)レース直前、ぎりぎりまで勝てるか勝てないか不安があったが、入場した瞬間に“絶対勝つ”と意気込んだ。本当にこれからどんどんタイムを上げていくための課題が見つかり、それを楽しみにして頑張りたい」

 

◆コメント 

とにかく凄いとしかいいようがないですね。

疲れが溜まっているようなので、ゆっくりして、また活躍してほしいです。

色々と問題があるオリンピックですが、やっぱり選手たちがこれを目指して頑張ってきたので、その活躍を見たいです。

        

 

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池江璃花子、奇跡の五輪メドレーリレー切符! 

白血病判明からわずか2年  

 

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(4月5日)引用 : サンスポ

 

サンスポは、競泳・日本選手権2日目(4日、東京アクアティクスセンター)病を乗り越え、東京五輪へ!! 

 

代表選考会を兼ねて行われ、白血病からの完全復活を目指す女子の池江璃花子(20)=ルネサンス=が、100メートルバタフライを57秒77で制した。

日本水泳連盟が定める派遣標準記録(57秒10)は破れなかったが、400メートルメドレーリレーの選考基準(優勝と派遣標準記録57秒92)を満たし、東京五輪代表に決まった。

 

2019年2月の病気判明から2年余り。奇跡的な復活劇を披露したヒロインは「今すごく幸せ」と涙ながらに語った。

 プールから上がれない。池江は無観客の会場で、声を上げて泣いた。つらかった治療の日々が、走馬灯のように頭を駆け巡った。

 

100メートルバタフライ決勝で、全力を出し切り、重たくなった体。力なくプールサイドに立つと、仲間の待つスタンド目がけ、涙でいっぱいの笑顔でガッツポーズを繰り出した。「自分が勝てるのはずっと先のことだと思っていた。

努力は必ず報われるんだなと思った。

今すごく幸せ」。レース直後のインタビューでも涙が止まらなかった。

 

 日本水連の定める個人種目の派遣標準記録(57秒10)は破れなかったが、57秒77で優勝。400メートルメドレーリレーの派遣標準記録(57秒92)を突破し、一度は諦めた地元開催の東京五輪代表を決めた。

 

 「ただいま」。そう小さくつぶやき、東京五輪の本番会場でもある東京アクアティクスセンターに入場して迎えた決勝。戦略がピタリとはまった。予選、準決勝と50メートルでのターンが合わず、後半は足に力が入らず伸びを欠いた。

 

その課題を1日で改善するため、決勝はスタート後のドルフィンキックの数を調整。後半のために前半は「楽に速く」をテーマに、タッチもピタリと合わせて2番で折り返した。

 ラスト25メートル。ためていた最後の力で強烈なキックを打ち続けた。グッと前に飛び出し逃げ切り、この2日間で0秒91もタイムを上げた。

 

現在も6週間に1度は通院。抗ウイルス剤を毎日服用するが、日本記録(56秒08)を持つ本命種目でライバルを圧倒した。

 

 786日前の19年2月8日、白血病の診断を受けた。「治療で髪が抜けます」と医師から言われ、初めて泣いた。あまりにも過酷な闘病。東京五輪の代表になる自分を想像することすらなかった。抗がん剤治療は「思っていたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどい」。最も体調が悪いときは音や食事にも拒絶反応を示し「死にたい」とまで思った。夜、同時期に骨髄移植を受けた友人と病室をこっそり抜け出し、真っ暗なリハビリ室で涙を流した。先が見えなかった。

 

 あれから2年余り。一度は絶たれた東京五輪出場の夢は運命に導かれるように復活した。新型コロナウイルスの影響による1年延期と、19年8月予定だった退院が回復の遅れで先延ばしになったことで受けた治療で体調が好転。そのままの時期に退院していたら、2年間の通いでの抗がん剤治療が予定されていた。その場合は、東京五輪代表選考会が開かれた今もプールには入れていなかった。

 

 勝って当たり前だった自分が誰にも勝てなくなった悔しさも原動力になった。これまで以上の「みんなに勝ちたい」という思いが、驚異的な回復につながった。24年パリ五輪を目標に掲げる再起の道で、誰もが想像できなかった東京五輪への扉をこじ開けた。

 

「優勝できるとは思っていなかった。(東京五輪まで)さらにタイムを伸ばすことを目標にしたい」

 

 400メートルメドレーリレーでの代表入りを決めたが、日本選手権で残り3種目に出場する。大会5、6日目の100メートル自由形は、復帰後のベストタイムが400メートルフリーリレーの派遣標準記録(54秒42)まで1秒を切っており、最も代表入りが近いとされる。「気を抜かずに頑張っていきたい」。白血病からの完全復活。池江の起こすドラマは、まだ始まったばかりだ。



 

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